だって春だもの

ときどき、
夜中に帰ってきたお殿様に起こされて食事を用意すると

へんなスイッチが入ってしまい

時間のかかる料理をしてしまうことがある。
よなべで。

昨日は勃然と山形名物の富貴豆が食べたくなり、
帰りにさやつきのグリーンピースを大量に買っていたのだが
おりからの大雨でつい寝入ってしまい(雨の音の中眠るのって大好き)、
起こされたを幸い、果てしない豆作業に突入した。

さやから出して、下ゆでする。
早くもいやな予感がする。
なにしろ富貴豆というのは薄皮を剥くのがいのちの菓子。
鹿児島からやってきたという豆ざやは、ところどころ白ぬけがはじまり
はしっこが乾燥している…、
これは、津軽弁で言うところの、「としょっている」豆ではなかろーか。
「図書」ではない。「年寄っている」だ。

いやな予感というのはたいてい当たる。
ほれみろカマの底ぬけてたやんけ東電、*1と思いつつ煮た
豆はたいへんしっかりと固い薄皮で、こすりあわせて取れるような
やわやわの新豆様ではなかった。
うむ。
うむ。

それでもわたしは富貴豆を作る意欲を失わなかったのだ。
ざっと千個くらいの豆の薄皮をひとつひとつむきはじめる。
われながらほれぼれするほどの食い意地である。

ひとつ剥くごとにヒジから手指にまでびりびりと痛みが走る。
そう、私はリウマチ急性期の疑いキーパー。
指でつまんで皮むきなんざとてもできるわけがない。
よって爪でむいて押し出す。

グリーンピースをだ。
シウマイにのってる大きさの豆だ。
ふだんは薄皮の存在が決して厭ではなくむしろ好ましいのに
ちまちま ちまちま ちまちま
むいてゆくのだ。
千個。
ばっちこーい。


当然のことながらはかどらん。
お殿様はとっくに高いびきの午前3時。
必然のごとく余計な思考で満たされる。

なんでこうまで富貴豆に執着するのか。
つらつら考える。
富貴豆は、こども時代に時々近所の奥様にいただいて食べた
日持ちのはかない、あえかな高級和菓子である。
奥様は優しかった。
(過去形なのは私がところ替えをしたせい)
いまもお元気で、去年偶然温泉地でお会いした。
家族の誰かが特別好きだったというわけでもない。
ほとんど私ひとりが大箱からすくって食べていた。
そして食べきれず乾燥させてしまって困ったりもした。

つまり、富貴豆が…とか
まつわる人が…とか
エピソードがあるわけでもなんでもなく、

私は、わたし自身の、子供時代がいまもなおとっても好きなんである
ということなんだな。
夜なべして千個の豆をむくほど。

あああ〜、一般人のわたしがこんだけ自分の子ども時代を好きならば、
マイケルはどんだけ得られなかった子供時代を惜しんだろうか。
だろうかったら。くよくよ。*2
とか思いつつ剥くうち、豆はすべて薄皮からはなれた。
千個でも万個でも持ってこいってんだという気持ちになった明け方、
今度は煮含めをはじめた。
われながら切ないまでの執着である。
しかしひとたび茹でてむいてしまったならば、最後まで処理しなければ
どのような魔が訪れるかワカランのであるからして、
アタマの黒いネズミちゃんだの
えーい塩して炊きたてごはんにまぜてしまえだの
いや塩もイランからこのままだの
そんな悪魔たちから断固死守して大量の砂糖で煮なくてはならぬ。


富貴豆がまがりなりにも出来上がったのは午前5時半であったよ。
さてそれからはおひいさまの弁当を作らねばならぬ。
お殿様のワイシャツも糊がけせねばならんし
おお、今日がはじまる。
さわやかだ。まだ雨だけど。

シロウトが作った富貴豆はもちろん大して美味いわけもなかったが、
本家の風味の記憶を呼び覚ましてくれるよすがとなった。
もちろん私は5月中に山田家に電話して白露富貴豆を注文する。
だって春だもの。

*1:5/12,震災後はじめて東電が一号機メルトダウンを認めた。みんな知ってたつーの

*2:私がくよくよしてもどーにもこーにも