オムレツ

就職して一人暮らしするまで
肉を一切食べない父にあわせ、
食卓に並ぶたんぱく質は魚介類ばかりだった。
大学に入ったとき、そのあたりを矯正するべく
評判のいい料理教室を調べて即弟子入り。

京女の先生からはテーブルあしらいや季節のことに加え
栄養学の講座も受けることができた。
通っていた大学の家政科で教えていた方でもあるので
テキストはいまも大切にとってある。
今考えると非常にお得なクラスだったのだね。

子供ごころに楽しみだったのはオムレツ。
普通にこども味覚だった私は、めったに出会えないものの
あいびき肉が好きだった。
うん、たいていの子供はハンバーグが好きでしょう?
でもうちではハンバーグって出ないのよ。
だって父のメインがなくなるから。
で、ものすごい手間ひまかけて、イカをさばいて叩いて細かくして
片栗粉とか小麦粉と練って揚げた
イカメンチ」
がうちではハンバーグの位置にいた。

年に数度くらいは外食もしたけど、大抵はきちんとした割烹店
会席料理をいただくので、お子様ランチや洋食なんて
外では食べたことがなかった。

偏食なほうで、いつも叱られていたんだけど
あの頃のメニューは一切子供にこびていなかったので
食べられるものがなかったという理由を腹の底に残している。
老人用、老人病人用、大人用の三種類を毎日三度さんど
作っていた母のことは、いまなお尊敬するが
子育てとしてはあまり参考にしていないのも事実だ。

そんななか、時たま母が作ってくれる
「野菜のみじん切りとひき肉をコンソメ味に炒めたもの」が
とても好きだった。
冷ましたら、ちまちまとギョーザの皮につつんで焼く。
私は25歳超えるまで、ふつうの焼き餃子を食べたことがなく
作り方も知らず、これが餃子だと信じて疑わなかったものだ。

学校給食は小学校までだったので、そういう肉料理はいくつもある。
たとえばしゃぶしゃぶ。
入社前の顔合わせでふるまわれた、高級店での一人一つ鍋・食材が
どかんとおかれ、ガツンと高そうな肉を前に私は途方にくれた。
ダンナやほかの人が食べるのを真似て食べてはみたが、
平静な顔をつくろうのと慎重に行動しなければならないのと
これから入社する会社の人との会食という気づまりさで
何を話したか、味はどうだったか、なんにも覚えてない。

で、前述のひき肉いため。
これが残ると次の日オムレツになった。

母はわたしのお弁当に6年間毎日カニカマを入れ続け、
私をカニカマ大嫌いに仕立てたことを時々笑い話にしているが、
じつはプレーンオムレツも嫌いになりかけたのは秘密である。
母のプレーンオムレツは本式で、できたては旨いが
お弁当には最悪のしろものであった。
なにしろ中身がトロトロで卵液はもれる、においは出る。
卵液は弁当箱を通過しフロシキをも通り抜け、鞄がダメになった
こともあった。
自転車通学だったせいもあろうが・・・。

けれど、そんなオムレツに具が入ると、
卵液のしみたごはんもフロシキの染みも許せた。

母には文句を言うどころか、逆らったことすらない。
姉の反逆によって私の反抗期は全方位封じ込めにあったので
こんなことを文字にするのも気が引けるが
42歳にして親離れするのも悪くないだろう。


ひき肉いりオムレツ好きは娘にも順調に引き継がれたらしい。
続けざまにお弁当に入れたけれど、ぺろっと食べてきた。
空のお弁当箱を洗うとき、しあわせをしみじみと感じる。